かふぇにゃんぷっぷー


その日は朝から仕事が山積みで、お昼を取る時間も無く、会社から出たのは定時から3時間も過ぎた頃で。

胃の中がすっからかんだ。隙を見てデスクの引き出しに常備してるおやつを食べて耐えて来たが、流石にもうヤバい。

というか、空き過ぎて逆に気持ち悪くなって来た。何も食べないまま働くとこうなるんだ。

 

疲れた頭でぐるぐると思考を巡らせながら、とにかく家に帰る為に足を動かす。

いや、その前に何か食べる物を買わないと。今から家に帰って食事を作る気力なんかどこにも無い。

私の住む場所は夜遅くまで営業している飲食店は限られている。この時間に食べ物にありつける店となると、

コンビニくらいしか選択肢はない(一応居酒屋もあるが、私は下戸なので入れない)。

幸いコンビニは最寄り駅前にある。でもあの店、態度が悪い店員に当たった事あるから

あんまり行きたくないんだよなぁ…。

 

「何食べようかなぁ……あ?」

 

駅までの道のりの途中、ふと目に入った看板に足を止める。

ぼんやりと光るそれに書かれていたのは「かふぇ にゃんぷっぷー」という可愛らしい文字。

看板の立っている場所を見ると、確かにそこには木製のレトロな雰囲気漂う店があった。

 

「にゃん…?ってか、こんなとこにカフェなんてあったっけ…」

 

毎日通る道なのに、今まで気が付かなかったのだろうか。といっても、その店はとても狭く、

建物と建物の間にひっそりと佇んでいたので、気が付かなかったのだろうと思った。

ドアには「OPEN」の札が掛かっており、窓からも明かりが漏れている。

 

「…」

 

普段の私なら「こういう狭くてオシャレな店は値段が高そうだし、入ったら何か買わないと

出られない気がする」と敬遠する雰囲気の店だったが、その時は何故か惹かれるように

ドアノブに手を掛け、店の中に足を踏み入れた。

 

扉を開くと、チリンチリン、とドアベルが鳴った。

天井から吊るされたランプが優しい色で店内を照らす。

中は外から見た通りの狭さで、入ってすぐにレジとショーケースがあり、テーブル席は2つしかない。

 

「わ…」

 

私はレジ横のショーケースの中に目を奪われた。

サンドイッチにスコーン、マフィン、ベーグル、ドーナツ、パウンドケーキ…

様々な種類の食べ物たちは、どれも美味しそうに見える。

 

「あっお客さん!いらっしゃいませ〜」

 

レジの向こう側から、やたら気の抜けた声が聞こえて来たのでそちらに顔を上げる。

 

「…え!?」

 

店員かと思ったら、そこには丸々とした黄色い生物が居た。

三角の耳、まんまるの目、細いひげ…そう、猫にしか見えなかった。

 

「ご注文はお決まりですかにゃ?」

 

しかも、喋った。

 

「あ…え……いや、まだです……」

「ごゆっくりお選びください〜。あ!今日のおすすめはびーえるてぃーさんどです」

「はぃ、どうも……」

 

目を細めて笑うその物体から私は視線を逸らし、ショーケースに向き直る。しかしあれを気にせずにはいられない。

あれは一体…?ぬいぐるみ?ぬいぐるみにスピーカーが付いて?そうか分かった、

最近ネットで見たファミレスに居る猫型配膳ロボットってあれのことかな?そう、そうに違いない。

すごいなぁ最新のロボット技術って。喋るし動くし可愛いし愛想も良いんだ。

 

「にゃんぷっぷーは、ろぼっとじゃにゃいよ」

「はひっ!?!?」

私の考えを見透かしたように猫が喋る。

 

「にゃんぷっぷーは、にゃんぷっぷーにゃ。それ以上でもそれ以下でもないのにゃ」

 

猫はふふんっと得意気な顔をしている。言っている意味はよく分からないが、

とにかく目の前の物体は機械である事を否定しているらしい。

 

「そ…そういう設定ですか?」

「せってい…?どういう意味にゃ?」

「そういう店のコンセプト的な……すみません、なんでもないです」

 

これ以上追求するのは無意味だと判断して、話を切り上げた。

 

「ならいいにゃ。にゃんぷっぷーの事より、お客さんが今食べたいものを選んで欲しいにゃ」

「私が…食べたいもの?」

「お客さん、お腹がへってるんじゃないのかにゃ?」

 

また私の思考を見透かしたかのような言葉。いや、でも喫茶店に来る人の大半は腹が減ってるだろう。

 

「そうですけど…」と私は返事する。

 

「なら、食べたいものを食べれば良いにゃ。お腹がへってると気持ちもしくしく…悲しくなっちゃうにゃ。

お腹いっぱいになれば気持ちもるんるん!明るくなるにゃ」

 

表情がころころと変わる猫に、私は思わず「ふふっ」と笑みが溢れる。

 

「にゃんぷっぷー、なにか変なこと言ったかにゃ?」

「いえ、変じゃないです…うん、何食べるか決めました」

「にゃ!はいは〜い!」

 

私は店員オススメのBLTサンドと季節のスープにコーヒーを頼んだ。

 

「こーひーはあったかいのとつめたいの、どちらですか〜?」

「あ、あったかいので」

「さいずはおおきいのと、ちゅうくらいのと、ちいさいの、どれにしますか〜?」

「えっと…中くらいので」

「かしこまりました〜!あっ!ていくあうとですか?たべていきますか?」

「あ〜っと、食べていきます」

「ではお好きな席に座ってお待ちください〜」

 

ぴょん、と跳ねて猫はカウンターの奥へと見えなくなった。

まさかあの子が料理を作るのか…?あの小さな体で?どうやって?

 

「まぁいいか…はぁ~」

私は考えるのをやめて、レジから1番近いテーブル席に座った。

思い出したかのように足腰の疲れがどっと押し寄せ、思わず大きなため息が出た。

 

「ため息は幸せが逃げちゃうにゃ」

「うわっ!?!?」

 

急に目の前に猫が現れて、大声が出てしまう。私の向いの椅子に座って、というか乗っている。

「なん、いつの間にっ」

「お待たせしました〜びーえるてぃーさんどと、季節のすーぷのくらむちゃうだーと、ほっとこーひーです」

私が猫からテーブルに目を向けると、これまたいつの間にか私が頼んだメニューが並んでいた。

 

「わぁ…」

 

BLTサンドは焼きたてのベーグルの香りが漂い、スープとコーヒーからは湯気が立つ。

どれも出来立ての様に見える。そして、どれも美味しそうだった。

 

「ごゆっくりお召し上がりくださ〜い」

 

猫はリズム良く床を跳ねてカウンターの奥へと戻って行く。

 

「…いただきます」

手を合わせて、料理を口へと運ぶ。

 

「…おいし…」

 

味がどうとか、食感がどうとか、何が何でそう思うのかは説明できないけれど、とにかく美味しいと感じて。

こんなに料理が美味しいと感じたのはいつ以来だろう。

静かな店内の中、私はゆっくりと晩ご飯を味わった。

 

 

「美味しかったです」

私はレジで店員に感想を伝えた。

「よかったよかった。お客さんのおなかを満たして幸せにするのが、にゃんぷっぷーのおしごとなのにゃ」

店員は目を細め、うんうんと頷いた。

 

「それで、お会計は…」

「お代はいらないにゃよ」

「えっ?」

 

「また疲れてお腹が減ったら来て下さいにゃ」

 

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『三栖木〜三栖木駅です。お降りの際は車内にお忘れ物等御座いませんよう……』

 

気が付くと、私は電車に乗っていた。

車内アナウンスは私の降りる駅を案内していたので、反射的に慌てて席を立ち下車する。

 

駅から立ち去る電車の風を受けながら、先程までの出来事を反芻する。

私が居た喫茶店は?あの喋る猫の店員は?食べたはずの晩ご飯は?全部夢…?

 

…いや、あれは夢じゃない。確かにお腹は満たされている。

それに、自分の手荷物に小さな紙袋が増えていたことが、あれが夢でなかった事を証明している。

紙袋の中には一枚のクッキーが入っており、メッセージカードが添えられていた。

 

『お土産くっきーです

かふぇにゃんぷっぷー より』