虚無を飼い始めた話


今日もSNSのタイムラインには可愛い猫や犬の画像が流れて来る。

「いいなぁ〜…」

それらにいいねを付けながら私は独りごつ。

 

私には動物を飼った経験がない。子供の頃、親にペットショップで子猫をねだった事もあるが

母親は「アサガオを枯らしたアンタじゃ、動物の面倒なんて見切れないでしょ」と冷たく言い放ち

却下されてしまったのを今でも覚えている。

 

大人になった現在は、飼おうと思っても私の住んでいるアパートはペット禁止だし、

禁止でなくとも動物を飼うほどの経済的余裕は無い薄給社畜だ。

それでもペットを飼うことには未だに憧れを抱いており、SNSや動画サイトで可愛いペットの日常を

アップしているアカウントを見つけてはフォローしてしまうのだった。

 

『私も何か飼いたいなぁ』

宛のない気持ちを文字に起こしてタイムラインに流す。そうして願いが叶う訳ではないが、

ついついやってしまうのである。

その時、私の後に投稿された誰かの文章に目が入った。

 

『私は虚無を飼っているよ』

 

「虚無って…ふふっ、なにそれ」

何も無いを飼っている、というインターネット特有のユーモアのある投稿に、小さく笑ってしまう。

そして、ふと思い付いた。

私はスマホのカメラを起動して、部屋の隅の何も無いところを写真に撮る。

その写真には、こうコメントを付けて投稿した。

 

『虚無飼い始めました』

 

すると、その投稿にいいねの通知が飛び交った。普段の私の投稿よりも一段と反応が良い、

こんなにたくさんの通知は来た事が無い。

 

フォロワーからは『虚無ちゃん可愛いね!』とか『もふもふだぁ〜良いなぁ』などと

ノリの良いコメントがやって来て、思わず笑ってしまう。

 

「あはは…みんな何が見えてるんだろう」

 

面白がりながら、私は

『ありがとう!可愛いよね〜』

『毎日ブラッシングしてるからフワフラなんだよ』

と返信をした。

 

──────

 

その日から私は、スマホで部屋の何も無い所を撮り『今日も虚無は元気です』とか『虚無がご飯食べてる様子』

といったネタをSNSに投稿をする様になった。

いいねの反応は良く、コメントも色々と来たし、フォロワーも増えていった。

自室の床だけを撮るのも芸がないなと思い、時には自分の手を撮って『手乗り虚無』と投稿したり、

カフェで撮ったテーブルの上の写真に『虚無とお出かけ』と題して投稿した。

何も無かった私にも何かがある。そんな気分を味わえた。

 

だけどある日ふと、自分は何をやっているのだろうと虚しくなった。

百均で買った猫じゃらしを何もない場所に振って、良い感じにブレた撮ろうと

四苦八苦してる今の私の姿は冷静になるとバカらしかった。

 

「虚無なんてある訳ないのにねぇ…」

 

ため息を吐きながら、私がいつも写真に撮っている、床の何も無い場所に手をやった。

 

ふわり、と何かが手に当たる。

 

「えっ…?」

 

手が宙に浮いている。何もない場所で、手に力を入れている訳でも無いのに。

手を少し動かすと、また、ふわりふわり、と毛を撫でているかの様な感触が伝わって来た。

そのうえ、つん、と私の手を触って押し返された。

 

そこに、なにかが、いる。

 

「ひっ…!!」

 

小さく悲鳴を上げて手を引っ込めた。

何?何がいるの?何も居ない筈なのに、何も見えない筈なのに、

 

「…まさか……」

 

私が、虚無を飼い始めたから?

ある筈のないものを、そこに居るように振る舞っていたから?

 

「〜〜〜っ!!!」

 

私は血の気が引いて、キッチンに駆け出した。

調味料棚にある塩を部屋に撒いた。

スマホからお経の動画をエンドレス再生した。

その日はSNSも見ずに、頭まで布団を被って寝た。

 

──────

 

「……何やってんだろ私……」

朝になり、床に撒かれた塩を掃除する。一晩中動画を流しっぱなしにしていたスマホの充電は

すっかり空になってしまった。

 

恐る恐る昨日何かを触った場所を掃除機で突いてみたが、何の変哲もなく床を叩くだけだった。

 

それと、昨日は眠りが浅かったのか、私は夢を見た。

夢の中で私は小さくて白いふわふわの毛の塊を抱いていた。

毛の塊には顔も口も見当たらなかったが、「ありがとう」と喋った気がした。

 

「…ちょっと可愛かったな……いや怖いけど……」

 

充電し終えたスマホからSNSを開いて、私が投稿した虚無の投稿は全て削除した。

もうしばらくは、何かを飼いたいとは思わない。